横浜元村での競馬(神奈川県)
1860(万延元)年

いわゆる近代競馬の幕開けである


日本でも農繁期の忙しい時期を外した合い間のひと時
祭典・祝典などの場などで
「くらべうま」「きそひうま」と呼ばれるような「古式競馬」の歴史、伝統は既に存在していた
それは村民の心を癒す、楽しむといった祭りごとの一つであった


競い合いを通じて
賭け事賭博や軍事目的の馬匹改良などは「西欧」によってもたらされたものであると言われている


幕末の日米修好通商条約により、1859(安政6)年に横浜が開港され
それに伴い横浜村が日本人による商業地区と外国人の居留区(現在の山下町一帯)に整備されることになる
90戸近くの半農半漁の生活を送っていた横浜村の村人は
わずかな補償金で元村(現在の元町)から隣接する山裾に
強制移住させられた

元村”という村名は、市街地となった横浜町に対して「もともとの横浜村」という意味で呼ばれたそうな


横浜の居留区には租界のイギリス人も多く住み始めた

彼等は本国でそうしたように競馬を楽しむ為
1860(万延元)年9月:
元村の空き地に馬蹄型の馬場を作り馬の競走を行った

この競馬はあくまで治外法権の租界内で、幕府の関与する範疇外での出来事
狭い居留地で生活するストレスを発散する場として
或いは日頃の運動不足解消やスポーツによる気晴らしや健康維持といった目的の為である


しかし
次第にそれに極一部の限られたものではあったが日本人も参加するようになっていき
競馬自体に価値を見出して保護するイギリスの王侯貴族と異なり
我国の政治権力は「競馬」をツールとして利用するために事業としての「競馬」を振興し始めた

そのまず第一は「
社交手段」としての競馬事業の利用
軍事」「産業」を目的とする馬匹改良のでの利用
その後、「
馬券を伴う競馬」へと発展して行く

近代競馬の幕開けである


民間によって趣味の範疇で営まれていた日本古来の競馬が、公的な「事業」として営まれるように変貌して行き

元村で競った競走に端を発し

1862(文久2)年:
横浜新田(現在の南京町)に1周約 1,200mの本格的な環形コースが設けられた



神奈川県横浜市元町